安田菜津紀 / フォトジャーナリスト
16歳のときに、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材した安田菜津紀。現在はNPO法人「Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)」所属フォトジャーナリストとして、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進め、東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。
2021年10月11日、“女の子の権利”や“女の子のエンパワーメント”の促進を、広く国際社会に呼びかける「国際ガールズ・デー」のテーマは、「THINK FOR GIRLS~女の子たちが再び夢を描ける世界へ」。ARTIDA OUDはブランド立ち上げから4年目。ローンチのときから思い描いていた“I am”というドネーションプロジェクトで、インド北東部・ビハール州における「子どもたちの教育環境改善プログラム」への寄付を行い、学校を建てるに至った。
遠くで起きている問題を考えるきっかけを作りたい、そんな想いが共鳴しているように思えて、今回、お話を伺った。優しさと、強い意思と。その輪が広がっていきますようにーー。
人との出会いは、喜びに満ちている
―――日本ではあまり馴染みのない“フォトジャーナリスト”という仕事ですが、安田さんが活動を通して心がけていることはありますか?
相手の心の扉を無理やりこじ開けず、そっとノックできるかどうか、常に心がけています。心のリズムは人それぞれです。ましてや私たちが向き合うのは、紛争や災害などで、凄惨な現場を目の当たりにしてしまった方々です。性暴力の被害を受けたり、差別を受けたりした女性たちを取材させてもらうこともあります。「今すぐ伝えたいことがある」方もいれば、「伝えたいことはあるけれど、今は話せない」という方もいます。私たちは大きなメディアに属していないため、「今日の夕刊に間に合わせるために話を聞かせてほしい」など、締め切りがありません。相手の方が心の扉を開けるようになるまで、「待つ」ということも大切な姿勢だと思っています。その時に、相手の言葉を受け止められる存在でありたいと思っています。

―――安田さんが所属されている「Dialogue for People」は、「世界の『無関心』を『関心』に変える」というミッションを掲げていらっしゃいます。社会的な課題に目を向けるきっかけになるため、大切にしていることはありますか?
“日常への近さ”を大切にしています。例えば今、食文化を通して、日本に逃れてきた難民の人たちの声を伝える取材を続けています。相手の方に、「故郷の味を食べたとき、どんな思い出が浮かびますか」「思い出が詰まっている故郷を、なぜ離れなくてはならなかったのですか」と、記憶を辿る階段を、食を通して少しずつ登ってもらい、それを写真と記事で伝えています。
例えば難民や紛争の問題は、爆撃など危険なイメージが伴うこともあり、「自分たちとは違う人々のこと」「知ることが恐い」など、なかなか興味を持つことができない人たちを遠ざけてしまいがちです。
食は私を含め、多くの方にとって日常の一部です。読み手にとって、「この料理、どこの国のものなの?」「どんな人が作っているの?」「どうしてその人は、故郷を離れなければならなくなったの?」という心の道筋になってくれるよう心がけています。自分と取材を受けてくださる方が「おいしいね!」と、味を通して分かち合った気持ちを、読者に共有できたら、「知りたい」という扉がぐっと開くのではないかと思っています。
故郷の料理を作ってくれた、日本国籍を持つロヒンギャの女性、長谷川留理華さん。安田菜津紀撮影。
―――安田さんが実際にご覧になってきた、忘れられないシーン、景色、言葉を教えてください。
イラク北部クルド自治区の小さなアパートの一角で、ひっそりと避難生活を送るシリア難民のご家族の取材を続けています。2016年に出会った女性、マルワさんもその一人でした。マルワさんの故郷は、とりわけ激戦に見舞われたシリア第二の都市・アレッポです。イラクへ逃れてきたときは、寝る場所もなく、ショッピングモール前の広場などにテントを張ったり、廃墟に身を寄せて雨風をしのいだりと、過酷な生活が続いたそうです。
その後、同じくシリアから逃れてきた男性と、わずか15歳で結婚しました。私がはじめて会った当時は16歳で、出産を控え、大きなお腹を抱えながら家事をこなしていました。難民となった家族の中には、不安定な生活を送りながら、若い娘さんが独身でいることによって危険な目に遭うのではないかと心配したり、他の家に嫁がせれば、自分たちが養っていく負担が減るのではと考えたりして、娘たちを早く結婚させてしまうことがあります。しかし結婚が早くなれば、学校で勉強をしたり、教育を受けたりする機会が失われていくことになります。マルワさんたちの生活は厳しく、夫が辛うじて見つけてきた車の洗浄などの仕事で日々をつないでいました。
一家は毎晩アパートの一室で、ぎゅうぎゅうと川の字になって眠りにつきます。そのアパートに泊まらせてもらった翌日の早朝、まだ太陽が昇らないうちのことです。「大変、産まれそう!」と、マルワさんはまだ薄暗い道を、タクシーで病院に運ばれていきました。
マルワさんは15歳のとき、一度流産を経験しています。お医者さんたちは若いマルワさんの体の状態を心配していましたが、到着してから2時間後には、元気な赤ちゃんが産まれました。出産までは不安げだったマルワさんも、「この子にいつか、シリアの故郷を見せてあげたい」と、新たな夢が出来たことを語ってくれました。
故郷に帰る目途は立たず、これから母子は厳しい道のりを経ていくことになるでしょう。それでも、混迷の続くイラクに来て初めて、喜びが心から溢れる中でシャッターを切れた瞬間でした。「伝えることを諦めないで」と、その子が私の背中を押してくれたようにさえ感じました。名前もまだない小さな命に、心の中でこう、語りかけました。「ようこそ、世界へ。君が生まれてきてよかった、と心から思えるような未来を、私たち大人が築いていくからね」。
イラク北部、クルド自治区で生まれた赤ちゃん。後に“サラ”と名付けられた。安田菜津紀撮影。
―――安田さんの活動は、大切な社会課題と向き合い、現実を伝え続ける、とてもバイタリティが必要なことだと思います。バイタリティの源を教えてください。
取材はすべてが“いただきもの”だと思っています。相手の時間、言葉、経験をいただく、という気持ちを常に忘れずにいたいと考えています。つらい経験を思い起こし、一生懸命言葉にして、経験を分けてくれた方々に対して、何が返せるのか。それが取材を続ける一番のモチベーションになっています。
また、写真は絶対に現場に行かなければ撮ることができません。言い換えれば、人に会いに行くということ自体が仕事のようなものなのです。陸前高田で2011年から撮らせてもらっている子どもたちは、高校生や大学生、社会人になり、ファインダーをのぞく度に、その成長を実感します。イラクで生まれたあの赤ちゃんに、優しい気持ちを込めて写真に残したこともあります。人との出会いは喜びに満ちていると教えてくれたのは、ほかならぬ取材でお世話になった方々だったと思っています。
―――安田さんの考えを伺っていると、優しい眼差しで世界を見つめ、より明るい方へ進んでいこうという意思が伝わってきます。今後の夢や、人生の目標を教えてください。
2年近く続くコロナ禍で、多くの人たちが疲弊してきたと思います。けれども「自分よりもっと大変な人がいるから」「自分なんかが弱音を吐いてはいけない」と、不安を押し殺してきた人たちも少なくないはずです。DVなど、家が安全ではない問題を抱えている方々にとってはなおさらです。私が心の支えにしている言葉に、以前に自殺対策のポスターに使われた「弱かったのは、個人でなく、社会の支えでした」という言葉があります。「自己責任」という言葉がどうしても飛び交いがちな今の社会ですが、「不安を口にしていい」「助けて、と言っていい」という柔らかな投げかけが必要だと思っています。
「知る」ことの先にある、「知らせる」役割をどう果たしていくか
―――ARTIDA OUDは、“I am” Donationというプロジェクトで、インドに学校を建てるに至りました。インドの「子どもたちの教育環境」について、お考えを伺えますでしょうか。
インドでは、児童労働からどのように子どもたちの権利を守っていくのか、という取材をしたことがあります。綿花畑などで働く子どもたちにとって、長時間労働や農薬など、様々なリスクが現場にあるにも関わらず、そこから抜け出すための選択肢が乏しい状況でした。また周囲の大人たちにも、子どもたちが権利の主体である意識が希薄である状態でもありました。学校環境を整えることはもちろん、大人たちが子どもたちの労働力に頼らず生計を立てられるのか、そうした意識をコミュニティ全体で共有できるかなど、多角的なアプローチが必要だと感じます。また、周囲に学校に行った経験がある大人があまりいない環境では、子どもたちにとって未来を描ける「ロールモデル」を見つけることが困難です。時間がかかることではありますが、そうした「ロールモデル」が生まれる環境を築いていくことが不可欠だと思います。
インド・デリー郊外の村で。安田菜津紀撮影。
―――ARTIDA OUDは、世界の遠くで起きている問題を、身近なジュエリーというアイテムを通し、考えていただければという気持ちを込めて活動しています。“I am”Donationに関して、コメントをいただけますでしょうか。
アクセサリーなどのアイテムは、日常の中でメッセージを発することができるものだと思っています。「そのブレスレット、素敵だね!どこで買ったの?」から会話が生まれ、インドの女性たちのことを身近な人と分かち合えるかもしれません。友人にプレゼントできれば、その友人が毎朝そのアイテムをつけるとき、「このブレスレット、インドの女性たちが作ったものだな」と思い返せる機会になるでしょう。こうして日常生活の中で触れる機会があれば、何気なく見ていたニュースの見方なども少しずつ変わっていくはずです。
―――また、このブランドは“ありのままの美しさ”をテーマに掲げています。世界で様々なシーンを見聞きされた安田さんにとって、“美しさ”とは?思い浮かべるシーン、人物、思想、自由にお聞かせいただけますと幸いです。
近年では「ルッキズム」から脱却しようという声が、少しずつ広がってきました。とりわけ社会的なマジョリティとマイノリティという力の非対称性がある中で、マジョリティ目線でかたどる「美しさ」にマイノリティ側をあてはめるようなことも見受けられます。その息苦しさに抗う動きは大切だと思っています。「美しい」とは誰の視点からのものなのか。例えば、男性側から女性たちを単に「消費」するような目線で判断していないか。これまでの「当たり前」を見直す時にきているのではないかと思います。
―――“ありのままの美しさ”には、内面の美しさもあると思います。自分を育ててくれた言葉や、本、映画などありましたら教えてください。
最近になって影響を受けた小説は、中島京子さんの『やさしい猫』です。スリランカ出身の男性、クマさんことクマラさんと、日本人のシングルマザー・ミユキさんとの恋愛を描いていたものです。娘のマヤさんの語り口で綴っているため、複雑に見える問題もすっと、心に届きます。
クマさんのことを周囲に話すと、ミユキさんの友人たちは「外国人って大丈夫なの?」「だって私の友達の友達がね…」と、もっともらしい“忠告”をしてきます。「クマさんはそんな人ではない、しっかりしている」という反論をしようとしていたミユキさん自身も、その考え自体が偏見ではないかと気づいていきます。そして、娘さんのマヤさんもまた、これまで知らなかった、同世代が置かれた実態に触れることになります。好きになったクルド人の男の子は、親たちが難民申請中であり、日本で生まれながらも、在留資格のない立場で生きていました。在留資格がない状況で収容施設の外で生活する“仮放免”の立場では、就労することも、健康保険に入ることも認められませんが、彼と出会ったばかりのマヤさんは、そんな詳細を知りません。まさか自分が恋をした相手が、自由に県境をこえることができない理不尽な“ルール”を強いられているとは想像できなかったはずです。
近年、日本の入管収容の問題は、名古屋入管で亡くなったスリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんの事件でようやく知られるようになりましたが、“収容とは”“人権とは”という問題を、柔らかく紐解いてくれる秀逸な作品です。
―――今年の「国際ガールズ・デー」のテーマは「日本の私たちにできることを考える機会」です。社会課題については関心があるけれど、「何ができるかわからない」という方も多いと思います。メッセージをお願いします。
私たちにできることとして、まず“知る”ことが挙げられますが、問題はその先にある、“知らせる”という役割をどのように果たしていくかではないでしょうか。社会課題について、急に周囲に切り出して語るのはハードルが高い、と感じる方も少なくないはずです。そんな時は、「難民の方が開いた料理店があるから行ってみない?」と誘ってみたり、「このアクセサリー、インドの女性たちが作ってるの」と贈り物をしてみたり、“カルチャー”から“知りたい”という輪を広げてみてはいかがでしょうか。
「女の子たちが再び夢を描ける世界へ」(国際ガールズ・デー2021)
PROFILE
NATSUKI YASUDA
1987年神奈川県生まれ。NPO法人「Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)」所属フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
Twitter
https://twitter.com/NatsukiYasuda
Dialogue for People
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EDIT/RIDE MEDIA&DESIGN
TEXT/HANAKO FUJITA
